森岡産業株式会社
| 「ねじ」とは | 辞書には、「物をしめつけるための螺旋状の溝のあるもの…」と書いて あります。 ねじは、物と物との締結・固定の機能を果たす基本的な機械要素部品 として、産業に欠くことのできない重要部品になっています。 現代工業製品で、ボルト(ナット)で代表される「ねじ」を使っていない 製品は皆無といってよいでしょう。 このねじの歴史は古く、現在のボルト(ナット)に近いものに限っても、 すでに400年を越えるといわれています。 今後、私たちの生活、工業界を支える大切なものとして、ほとんど永久に 使われると断言してもよいでしょう。 |
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| ねじの発見 | 藤の木のような、丈夫なつるに巻きつかれた 木の幹は、成長するにつれ巻きつかれた所は くぼみ、他の所は太くなっていきます。 つるが枯れ落ちたあとには、らせん状にみぞ のついた木の幹が残ります。 昔の人はこの幹を見て、ねじを思いついた といわれています。 |
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| ねじの応用 | 初期のねじは、木にねじ山を刻んだもので、 ぶどうやオリーブをしぼる道具として、ねじ圧搾 機に使われていました。 また灌漑のための揚水作業にねじを利用した 螺旋揚水機は、アルキメデスが発明したといわ れています。 |
![]() 揚水機 |
| ねじ切り機の登場 | 木の棒を回転させて、それに刃物をあてが い刃物を一定の速さで動かし、ねじを切って いきます。この刃物を正確に動かすことによっ て一定のピッチをもった正確な、ねじを刻む ことができます。 レオナルド・ダ・ビンチのねじ切り機には替え 歯車の考え方が取り入れられていました。 |
![]() ダ・ビンチのねじ切り機 |
| ねじ切り機の完成 | 16世紀には、多様なねじを切ることが可能 な、ベッソンのねじ切り盤が登場しました。 18世紀後半に入ると、イギリスのラムステン が、ねじ切り旋盤を発明し、モーズリによって 思いのままにねじを切ることができる、ねじ切り 旋盤が完成しました。 |
![]() ベッソンのねじ切り盤 |
| 日本のねじ | 日本では、1543年(天文12年)種子島に 漂着したポルトガル人がもたらした火縄銃 に始まります。 これを見本として、火縄銃の銃身の底をふ さぐためのねじを、八板金兵衛らが製作し ました。 このねじが日本で作られた、最初のねじで あろうとされています。 火縄銃とほとんど時を同じくして、西洋か ら時計も伝来し、これをまねて和時計が製 作されるようになりました。これにもごくわず かですが、ねじが使用されており、時計製 作職人の手で、少量のねじが作られていた ようです。 しかし徳川幕府の鎖国政策により、欧州 からのねじ類の伝来もなく、また銃砲類の 製作も抑えられていたので、ねじの製作 技術が発達しないまま、明治維新を迎える ことになりました。 そしてねじ製造が、工業化の道を歩み始 めるのは、大正になってからです。 |
![]() 火縄銃の銃底 |
| 標準ねじの提唱 | ねじの寸法がまちまちでは、互換性がなく、とても不便です。 1841年イギリスのウィットウォースは、山の角度55度の標準ねじを 提案し、これまで混乱していたねじ山を統一し、体系付けました。 これが英国規格となり、ウィットウォースねじとして全世界に 普及しました。 1864年アメリカのセーラーズが、山の角度60度のインチ系ねじを 提案し、アメリカ規格として採用され、USねじと呼ばれました。 さらにこれが、アメリカ・イギリス・カナダの三国が協定して、ユニファイ ねじに発展しました。 また1898年フランスで、山の角度60度のメートル系ねじを作り、SI ねじとして普及し、メートルねじの原形となりました。 1928年に設立された万国規格統一協会(lSA)を経て、1947年 国際標準化機構(lSO)が設立され、国際標準化が推進されています。 日本では、メートル、ウィット、ユニファイねじの三本立でありましたが 1965年ISOねじが導入され、1968年ウィットねじは廃止されました。 |