ねじの歴史

森岡産業株式会社   

1.「ねじ」の発見 2.ねじ切り機の登場 3.日本のねじ 4.標準ねじ

「ねじ」とは 辞書には、「物をしめつけるための螺旋状の溝のあるもの…」と書いて
あります。
ねじは、物と物との締結・固定の機能を果たす基本的な機械要素部品
として、産業に欠くことのできない重要部品になっています。
現代工業製品で、ボルト(ナット)で代表される「ねじ」を使っていない
製品は皆無といってよいでしょう。
このねじの歴史は古く、現在のボルト(ナット)に近いものに限っても、
すでに400年を越えるといわれています。
今後、私たちの生活、工業界を支える大切なものとして、ほとんど永久に
使われると断言してもよいでしょう。




ねじの発見 藤の木のような、丈夫なつるに巻きつかれた
木の幹は、成長するにつれ巻きつかれた所は
くぼみ、他の所は太くなっていきます。
つるが枯れ落ちたあとには、らせん状にみぞ
のついた木の幹が残ります。
昔の人はこの幹を見て、ねじを思いついた
といわれています。





ねじの応用 初期のねじは、木にねじ山を刻んだもので、
ぶどうやオリーブをしぼる道具として、ねじ圧搾
機に使われていました。
また灌漑のための揚水作業にねじを利用した
螺旋揚水機は、アルキメデスが発明したといわ
れています。







揚水機

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ねじ切り機の登場 木の棒を回転させて、それに刃物をあてが
い刃物を一定の速さで動かし、ねじを切って
いきます。この刃物を正確に動かすことによっ
て一定のピッチをもった正確な、ねじを刻む
ことができます。
レオナルド・ダ・ビンチのねじ切り機には替え
歯車の考え方が取り入れられていました。






ダ・ビンチのねじ切り機

ねじ切り機の完成 16世紀には、多様なねじを切ることが可能
な、ベッソンのねじ切り盤が登場しました。
 18世紀後半に入ると、イギリスのラムステン
が、ねじ切り旋盤を発明し、モーズリによって
思いのままにねじを切ることができる、ねじ切り
旋盤が完成しました。






ベッソンのねじ切り盤

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日本のねじ 日本では、1543年(天文12年)種子島に
漂着したポルトガル人がもたらした火縄銃
に始まります。
これを見本として、火縄銃の銃身の底をふ
さぐためのねじを、八板金兵衛らが製作し
ました。
このねじが日本で作られた、最初のねじで
あろうとされています。
火縄銃とほとんど時を同じくして、西洋か
ら時計も伝来し、これをまねて和時計が製
作されるようになりました。これにもごくわず
かですが、ねじが使用されており、時計製
作職人の手で、少量のねじが作られていた
ようです。
しかし徳川幕府の鎖国政策により、欧州
からのねじ類の伝来もなく、また銃砲類の
製作も抑えられていたので、ねじの製作
技術が発達しないまま、明治維新を迎える
ことになりました。
そしてねじ製造が、工業化の道を歩み始
めるのは、大正になってからです。



火縄銃の銃底

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標準ねじの提唱 ねじの寸法がまちまちでは、互換性がなく、とても不便です。
1841年イギリスのウィットウォースは、山の角度55度の標準ねじを
提案し、これまで混乱していたねじ山を統一し、体系付けました。
これが英国規格となり、ウィットウォースねじとして全世界に
普及しました。
1864年アメリカのセーラーズが、山の角度60度のインチ系ねじを
提案し、アメリカ規格として採用され、USねじと呼ばれました。
さらにこれが、アメリカ・イギリス・カナダの三国が協定して、ユニファイ
ねじに発展しました。
また1898年フランスで、山の角度60度のメートル系ねじを作り、SI
ねじとして普及し、メートルねじの原形となりました。
1928年に設立された万国規格統一協会(lSA)を経て、1947年
国際標準化機構(lSO)が設立され、国際標準化が推進されています。
日本では、メートル、ウィット、ユニファイねじの三本立でありましたが
1965年ISOねじが導入され、1968年ウィットねじは廃止されました。



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